「信じない」人は「そうならないこと」を信じている人。
え~とですね、私毎週金曜に配信される
「仕事の課外授業」というメルマガを購読してまして
何人かの仲間と「メルマガ感想文部」というのをやってるのね。
順番に担当が回ってきて、自分の番の時のメルマガの感想を書くの。
このメルマガ、元々は会社のリーダー向けの内容なんだけど
人間のあり方などが説かれており、
妻として、母として、私として、いろんな自分に置き換えて考えられ
すごく学びが多いんだよね。私が毎朝読んで背中がピッとしている人生好転の人のね。
今メンバーが3名なので、3週間に一度私の番がくるんだけど
私の番の時の感想文をこちらにシェアしようと思います。
私の学びが誰かの学びになったら嬉しいです。
という訳で、先々週私の当番だったのでシェアします。
本文はコチラから見れます~
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おこんばんは。
今日は雨すごかったね~。
みなさんは今日はいかがお過ごしでしたか?
我が家はというと、ケンチはお昼前からちょっとお出かけで
私は、遊び相手が見つからず荒れた息子と共に過ごし、
一緒になって荒れないように、なんとか頑張っておりました。
いやいや、今週はどうも息子とぶつかる1週間でして
なにかと衝突する日々でしたねぇ。
なんでだろう?なにが問題なんだろう?
いろいろ考えながら過ごした1週間でしたが
それがどうも、今回のこのメルマガがキーになっていることが
昨日ようやく気がつき、なんか見えてきた気がします。
という訳で、早速感想に入りたいと思います。
675「善に見る」
今回のこの「主観的なものの見方」というのは
育自の魔法でいうと自己概念の説明で使う「めがね」だね。
善に見る。
すなわち、「肯定的なめがね」をかける。
自分を否定的に見ている人は、相手や周りを否定的に見る傾向がある。
自分を固定的に見ている人は、相手や周りを肯定的に見る傾向がある。
「肯定的なめがね」をかけて
自分自身や相手や周りを見るようにすると、とても生きやすくなる。
以前、藤堂塾に参加した時、
「建設的な人生観」と「肯定的な自己像」を持つ、
という話がありました。
(以下はメモ)
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建設的の反対⇒破壊的
肯定的の反対⇒否定的
「破壊的でない人生観」「否定的でない自己像」
物事の定義
定義は肯定的なものをもつ。
定義がよいと、うまくいく
反対にいうと、うまくいっていないことがあれば、
・定義が肯定的でない
・定義があいまい
そうすると、事象に振り回される
⇒定義を見直す
「家族とは~」「仕事とは~」「人生とは~」 肯定的な定義をもつ
「今晩のおかずは何を食べるか?」の前に
「どんな人生を送りたいか」それのうえで「今晩のおかずは?」
自分は普段どんな定義で話しているか?
(自分の人生観)
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「善に見る」というのは
「肯定的な定義をもつ」ということなんだ、と思いました。
そこで今回の私が本文でキーと思ったのはこちら。
>「自分の仮説」が、
常に「結論」なのです。
昨日の「人生好転」のテーマは「心に願うこと」
願望達成の話で、自分が信じた通りの結果になる、という内容。
そこにあってグサリときた言葉。
>「信じない」とは、
>「そうならないこと」を信じている
私は息子に対して、否定的な定義をもっていた訳です。
「ろくなことをしない」
「私の邪魔をする」
「口を開けば暴言をはく」
「調子にのって私を困らせる」
で、「そうである!」と信じている訳です。
固く固く。
もう、あれだね。「引き寄せの法則」だね。
ここ最近息子とうまくいかなかったのは、これが原因か~
と納得。
あと、おまけに、夫とぶつかる時もこれな気がする。
>「そうならないこと」を信じている
これの対処は、あれだなぁ。
「成功体験を積むこと」だな。
この、固く固く思ってしまってる、というのは
必ず、原因がある訳で、
それを覚えているから、要は「防御」な訳なんだよね。
心の準備的な。
でも、その心の準備が残念ながら「結果」となって自分のところに戻ってきてしまっている。そんな気がします。
私に必要なことは
「できたこと日記」もしくは「感謝日記」だな。
その日の終わりにできたことや感謝したい相手やことを書く。
どうしても、できなかった体験ばかり目がいってしまうのを
なんとか、できた経験に目を向ける訓練。
あとは、定義を見直すこと。
「どんな風に育ってほしいか」そのうえで
「今の息子にはどうあってほしいか?」
以前、聞いた講演会で救われた言葉がありました。
「子育てのゴールは今ではありません。
子どもが自立して社会で生きていけること。
今おりこうさんであることではありません。」
どうしても、今おりこうさんを望んでしまう自分がいます。
目の前のことばかり見てしまい、ついつい視野が狭くなってしまいます。
先を見ながら、今を見る。意識しないとだなぁ。
そんな事に気がついた今、今日を振り返ると。。。
「ろくなことをしない」
→よく見ていたら、その都度彼なりの理由があった。
悪気があった訳ではない。動機は善であった。
「私の邪魔をする」
→私の時間も作ってくれた。
管理人さんのところにいき、帰って「どう?やりたいこと終わった?」と聞いてくれた
「口を開けば暴言をはく」
→すぐ謝ってきた。
すぐあと言いそうになって、自分で止めていた。
彼なりに努力しているようだ。
「調子にのって私を困らせる」
→調子にのっているのは、大体嬉しい時。
で、それをよしとしてくれる人もいた。「子どもらしい」と。
困っているのは、「周りの視線」であった。
どんなことでも、よしと言う人がいれば言わない人もいる。
全員によし、はない。私がどう思うか、だね。
なんか久しぶりに、子育てについて考えた1週間でした。
子育てを通し、自分の生き方も考えるいいきっかけだった気がする。
「育児は育自」
よーし、明日からまた頑張っていくぞ~
ずいぶん長文となってしまいました。
最後まで読んでくださりありがとうございます~